世界のカジノ
カジノと言えば真っ先にラスベガスを思い浮かべると思いますが、アメリカは世界最大数のカジノ施設を誇る国です。「自由の国」なので特に驚くことはないかもしれません。しかし、カジノ、ギャンブルはアメリカだけでなく、昔から世界中にありました。
カジノの歴史
カジノという言葉はどこから来たのか?イタリア語でcasaは「家」の意味。casinoは「別荘」「社交の場」という意味です。19世紀にはcasinoという語の意味は徐々に変化し、「楽しいことをする場所」というような意味も含むようになりました。
ギャンブルはヨーロッパのどの国にも存在したようですが、ギャンブルを行う場所が正式に公に現れたのは1638年のイタリアでした。
イタリアのベニスで、Palazzo Dandoloという建物の中にあるIl Ridottoという一部の空間を開放してギャンブルが行われていたようです。
Ridottoはridurreというイタリア語の派生語で「締める、プライベートにする」というような意味で、このギャンブルハウスは富裕層しか入場できなかったようです。シアターなどの休憩の時間に人々が来て、ギャンブルで遊ぶ空間として存在しました。
19世紀には、ヨーロッパのいたるところにカジノが出てきて、その後、現在のブラックジャックの原型であるVingt-et-un(フランス語で「21」) やルーレットがアメリカにも広まっていきました。
アメリカとラスベガス
ネバダ州でギャンブルが合法化されたのは1931年でしたが、ギャンブルはそれより以前にもアメリカに存在しました。1822年頃、アメリカで最初のカジノがルイジアナ州ニューオリンズに現れました。
その後、ヨーロッパの移民開拓者はアメリカ西部を目指していき、その結果、アメリカ西部でもカジノハウスがいくつも出てきました。
1906年にはGolden Gate Casinoがラスベガスにオープンしましたが、現在でも運営されており、アメリカで最も古いカジノとして知られています。
1926年にカリフォルニア州とネバダ州の境に位置する湖レイクタホの近くに建てられたCal Neva Casinoは、フランク・シナトラ、ケネディ家、ジョー・ディマジオ、ディーン・マーティン、サミー・デービス・ジュニアといった有名人も訪れたことのあるカジノ。
1962年の夏にはマリリン・モンローもこのカジノを訪れましたが、彼女はその一週間後に亡くなりました。このように、Cal Neva Casinoは華やかな歴史を持つカジノと言えます。
ラスベガスに続け
ほとんどの州でギャンブルはまだ違法であった1900年代ですが、1977年にはニュージャージー州でギャンブルが合法化されました。
リゾート地として知られているAtlantic CityのThe Chalfonte-Haddon Hotelはホテルの一部をカジノとしてオープンしました。その後、Atlantic Cityは、ビーチとギャンブルの観光地として話題になり、ラスベガスに続くアメリカ第2のギャンブルの都市として知られるようになったのです。
アメリカ先住民のカジノ
1979年にはアメリカ先住民によって経営された初のカジノが現れました。フロリダの先住民族のセミノール族が、同州のフォートローダーデールで特別保留地の商業カジノをオープン。
それ以降、アメリカの多くの先住民特別保留地では、先住民カジノが大きな収入源になっています。アメリカでは現在460の先住民カジノが存在します。コネチカット州のFoxwoods Casinoはアメリカ第2の大きさを誇り、マシャンタケット・ピクォート族によって運営されています。
アジアのラスベガス
マカオのカジノの歴史は、ポルトガル政府がギャンブルを合法化した1850年にまでさかのぼります。現在では「東のモンテカルロ」などとも呼ばれていて、「カジノツーリズム」抜きにはマカオを語れません。
カジノツーリズムはマカオの国の歳入の50%を占めています。マカオへの観光客は、中国本土と香港の観光客が大多数を占めています。2016年の時点でマカオには38のカジノがありました。
アメリカのオンラインカジノ
2010年にはデラウェア州でアメリカとしては初めてオンラインギャンブルが合法化されました。現在ではネバダ州、ニュージャージー州でもオンラインギャンブルは合法化されています。